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『揺れて歩く』読者の感想(1)


エディション・エフ4月の新刊『揺れて歩く』はようやく流通し始めたばかりですが、いち早く手に取ってくださった読者から、感想が届いています。著者・清水哲男さんのもとに届いたメッセージや感想を、読者ご本人および著者の了承を得て転載させていただきます。ありがとうございます。

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【「揺れて歩く」への感想をいただきました】

ご本人のご了承のもと、ぼくからのお返事もあわせて公開させていただきます。

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清水さんへ 西村里美

愛って何ですか?

幸せって何ですか?

その答えの一つがこの本にあるのですね。

この文字量ならすぐ読み終えられるだろうと思って本を開いたのに、実際はそうではありませんでした。

涙が出て胸が詰まってその度に一度本を置いて「なぜ私はここで涙が出るのだろう?」と考えて…でも言葉というのは心もとなくて、自分のなぜ?に言葉をみつけられないまま、またあとを読み進める。何度となく本を置いて考えるその時間は、感動の余韻でもあり、また生きる辛さを思い知る業でもありました。

御尊父・御母堂のなんと愛情深いこと。省みて自分の愛は軽く薄いと感じて、人としていかにあるべきか考えることでした。人としての魂の研鑽が足りません。どうしたらより高次の魂に行き着けるのか?高みを目指して日々を重ねることでしか辿り着けないのであれば、もう少し生き続けなければなりません。

では高次の魂はどのような境地にあるのか?宇宙の一部として自然の摂理の中で、抗わず汚さず、周りの幸せを願う利他の精神とともに自分自身の幸せも大切にできること。その幸せは決して欲や執着ではなく、心の平安であること。今はそんな風に感じています。

涙が出た理由は、ほとんどがその愛の深さに対する感動であったように思います。夫婦の相方を思いやる愛、父が子を思う・子が父を思う愛。時としてそれははっきりとした言葉ではなくぼんやりとした輪郭のままであり、その場で受け取られるものでなかったとしても時空を超えて相手に届く。「思い出さえあったらいつでも会える」言葉も肉体さえもいらない、想いが互いの中に確かに存在することこそが愛なのかもしれないと思いました。

生きてるだけですばらしい。なぜなら個々が宇宙の一部なのだから。お互いのために存在しているのだから。せっかく生きているなら、誰かの幸せの源に一部になれたら…そう願わずにいられません。

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西村里美さんへ 清水哲男

愛ってなんでしょう。

愛することってどういうことなんでしょうねえ。

正直言ってぼくもわかりません。

何があっても寄り添い続けようということくらいかな……。里美さんが言うように「誰かの幸せの源」になれたらと願うのは、究極の愛かもしれませんね。そう思うと、愛も、幸せも自ら求めるものではなく、誰かのために願うものかもしれないなとも思います。

to love somebody, peace & happy!!

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