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『揺れて歩く』読者の感想(6)


エディション・エフ4月の新刊『揺れて歩く』をお読みくださった読者から届いた感想をご紹介しています。今回は、著者・清水哲男さんのもとに直接寄せられたメッセージ。清水さんのFacebookページからの転載です。ありがとうございます。

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自分の人生に重ねて ――― 匿名希望さん(65歳)


一気に読ませていただきました。ご両親のお互いを思いやる気持ち、死に向き合いながら深めていった死生観。ご両親を見つめる目から紡ぎ出された文章、言葉の一つ一つから感じる著者のご両親への思いと自責の念。様々なことを考えながら読み終えました。年齢を問わず、読んだ方は改めて自分の生と死に思いを馳せるだろうなと思いました。私自身、遠く離れて暮らしていた父が、肺がんの末期である体を押して鹿児島に戻りたいと言い、僅か2週間足らずでしたが病院で寝泊まりして父との時間を過ごすことができました。しかしその時点では声を出す力も無く、会話らしい会話を交わすこともできなかったことが悔やまれます。両親とは若い頃5年間鹿児島で一緒に暮らしました。が、嫁姑の関係がこじれ両親は東京に戻ったという過去があります。父は死期を悟り、最期の時を私と過ごしたかったこともあったでしょうが、自分が帰ることで母を鹿児島に戻したいという思いがあったのではないかと考えています。しかし父の思いは叶わず、母は神奈川の介護施設で亡くなりました。私はその母を看取ることもできませんでした。こんな自分の不甲斐なさ、親不孝な思いをかみしめながら読ませていただきました。

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著者・清水哲男さんからの返信です。


匿名希望さんへ    ―――清水哲男

これは両親と僕の物語ですが、決して僕たち家族だけの物語ではないと思いながら写真を撮り書きました。個人の人生は確かにその人だけのものです。でも、人が生きるということは個別の事情があるにせよ、すべての人に共通する何かがあるのではないかと思います。だから人は誰かの人生に触れて自分の人生を思うのです。いい意味でも悪い意味でも自分の人生を振り返るのです。そうして今日から、明日からのことを考えるのだと思います。僕も甲斐性無しの親不孝です。でもそのことを匿名さん同様、噛み締めながら生きていきたいと思います。ありがとうございました。

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